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東北救急医学会設立の経緯


記憶に少し不正確な点があるかもしれないが、東北救急医学会設立の経緯と変遷について、その概略を述べる。

東北救急医学会設立について最初に話題になったのは、昭和56年鹿児島市で開催された、国立南九州中央病院院長の秋田八年先生が会長の第9回日本救急医学会評議員会懇親会で、福島県立医科大学の元木良一先生、岩手医科大学の星秀逸先生と弘前大学の滝口の3人が同席した機会であったと記憶している。当時、大阪や東京は別として、秋田先生、鹿児島県医師会の鮫島会長は南九州地方を中心に救急医療、救急医学の分野で著明な活動をしていた。現地でそのことを感じたことから、近い将来、東北地方にも救急医学会を作らなければならないと話し合った。

昭和60年10月に東北大学医学部附属病院に救急部が設立されて、吉成道夫先生が助教授になったことを機会に、元木、星、滝口の3人で東北救急医学会設立の基本構想について話し合った。61年秋、盛岡市に東北地方で救急医療に熱心な施設と関連の医師の方々にお集まりいただいて、東北大学医学部附属病院救急部を事務局とする東北救急医学会の設立、年1回各県持ち回りで学術集会・総会を開催する事で基本的な合意が得られた。第1回東北救急医学会は、昭和62年12月、吉成先生を会長にして仙台市で開催する事とした。

第1回東北救急医学会は吉成先生の大変な努力によって大盛会であったが、当時の出席者は、医師と看護婦のみで、救急隊員の参加は時期尚早として認められなかった。その後、第2回は福島市で福島県立医科大学の本多先生が会長、第3回は盛岡市で岩手医科大学救命救急センターの猪狩先生が会長、第4回は弘前市で弘前大学の救急部長岩淵先生が会長、第5回は秋田市で秋田大学の鈴木先生が会長、第6回は山形市で山形県立病院救命救急センターの佐藤先生が会長で開催され、東北地方を一順した。

東北救急医学会は、日本救急医学会の内規「地方会は3回以上総会を開催した後に、日本救急医学会地方会として認める」により、第3回目開催後に日本救急医学会地方会として認められた。また、第4回総会を弘前市で開催した際には、青森県内の救急隊員の症例発表会を同時に同じ会場で行うと共に、青森県内の救急隊員の学会での聴講を初めて認めた。

救急隊員が東北救急医学会に正式に学会に参加し、救急隊員部会が設置されたのは、第7回仙台オープン病院の阿部康之先生が会長の時からで、このときから医師部会、看護師部会、救急隊員部会の3組織が設置されて、現在の学会の体制が出来上がった。

新潟県が東北救急医学会に参加したのは、救急救命士が先で、平成16年の山形市で開催された第18回から正式に医師、看護師の参加があった。第20回東北救急医学会は新潟県で開催される事になっている。

(平成17年3月14日 滝口雅博)